2008年5月31日土曜日

ほんとうの環境問題

池田清彦&養老孟司『ほんとうの環境問題』(新潮社)を読了。

私は、きたる洞爺湖サミットを心底憂えている。このサミットの焦点の一つは環境問題といわれているが、「議長国だから」とカッコをつけて、「京都議定書」締結の時のような愚を繰り返すのではないかと思うからだ。

私は「京都議定書」や「排出量取引」といったものをまったく信用していない。もちろんIPCC(気候変動に関する政府間パネル)のレポートを頭から否定するものではない。私達が気に留めておかなければならないのは、地球温暖化問題の本質は、温暖化そのものにあるのではなくて、エネルギーと食料とそれを取り巻くマネーの問題にその本質があるということなのだ。米国は議定書を批准しなかった。カナダは最近、降りてしまった。中国とインドの対応はご存知の通りである。欧州やロシアが排出量取引に熱心なのは、それが商売になるからだ。

NHKの報道番組が、排出量取引について熱心に語る欧州企業のリーダー達を紹介していたが、彼らをまるで伝道者のように扱っていることに違和感を覚えた。CO2排出削減政策に異議を唱える日本企業の経営者達を番組で非難していた古館伊知郎。まったく問題の本質を理解していなところでアジテーションだけが大きくなっていく。ああいうマスコミ人の罪は大変に重い。日本だけがババを引いている……、このことにもっと自覚的であるべきだ。

1980年代後半以降、日本のCO2排出量とGDPは完全にリンクしている。これは、この年代に、日本の省エネルギーがある種のピークに達したことを物語っている。すなわち、京都議定書での日本の公約「−6%」を守るということは、GDPベースでマイナス成長を政策的に誘導するということに他ならない。もちろん、技術的なブレークスルーが登場しないとも限らないが、そうでなければ、経済のマイナス成長なしに公約実現はあり得ないのだ。そもそも日本がその公約を実現できたとして、地球の温暖化抑止への貢献度はせいぜい0.01℃程度である。私達は、いろいろな数字を付き合わせて、もう少し頭を冷やさなければならない。

この国では、科学的、物質的、経済的な問題が、えてして倫理的な問題にすり替わってしまう。そうした愚は、戦前から先の大戦での敗戦までで、大いに懲りているはずなのに、実感もなければ反省も無い。「チーム・マイナス6%」なんていうのは一種の精神運動でしかない。まぁ、こういうことを言うと、「非国民」と言われてしまうのだろうが。精神論なんかどうでもよくて、私達は、冷静に深刻にシビアに、この国と人類の生存戦略を考えていかなければならないのだと思う。

http://www.team-6.jp/

ブックカバー

昨日ふらりと市内の書店に立ち寄ったら、UNITED BEES の帆布のブックカバーが何点か置いてあった。そのうち新書用のものは色合いがきれいだったので、その場で購入。私はブックカバーが好きで、けっこうたくさん持っている。以前は皮革製が好みだったが、最近は帆布がよいと思っている。使い込んでいくうちに馴染んでいくからだ。皮革製品も、使い込んでいくに連れ味わいは増していくが、文庫や新書の場合、本体が薄っぺらで安っぽいので、皮革と紙との折り合いが悪く、本そのものへの負担が大きいのが欠点だ。一方の帆布は、あまりその手の心配は無いのだが、手垢等の汚れが目立ってくるのが欠点といえば欠点か。もっとも私はそんな「使い込んだ」感じが好きなのだが。

http://www.united-bees.jp/

2008年5月29日木曜日

蘇我氏の古代史

武光誠『蘇我氏の古代史』(平凡社新書)を読了。

大学の書籍部で見かけて、つい購入。蘇我氏に関するこの手の本は、馬子、蝦夷、入鹿の三代の記述に終始することが多いが、本書では、(新書にしては)蘇我稲目以前、蘇我氏のルーツについて一定のスペースが割かれている。もちろん、蘇我氏のルーツについては謎が多いが、稲目の政治的なポジションや葛城氏との関係から、それなりに面白い推測がなされている。古代史というと、王族と有力豪族だけの歴史として語られがちであるが、本書では一貫して、中堅どころの豪族の政治的な動きにも焦点が当てられていて、そこから王族・豪族の序列や浮き沈みの必然がわかりやすく描かれているのがユニークだと思う。入鹿暗殺、大化の改新によって蘇我宗家は滅亡したが、蘇我石川麻呂や庶流の一族の「その後」についても一定のスペースが割かれている。「強大な権力を誇った」と学校の日本史で教えられる蘇我氏だが、実際はどうして、一族のまとまりに欠け、多くの弱点を内包していた一族だったようだ。

Mac OS X v10.5.3 update

Mac OS X v10.5 Leopard のアップデート。安定性、互換性、およびセキュリティを向上させるオペレーティングシステムの全般的な修正が含まれている。

このアップデートについての詳細は以下を参照のこと。
http://support.apple.com/kb/HT1141?viewlocale=ja_JP
またセキュリティアップデートについての詳細は以下を参照のこと。
http://support.apple.com/kb/HT1222?viewlocale=ja_JP

●デジタルカメラ RAW 互換性アップデート 2.1 もリリース。

http://www.apple.com/jp/

2008年5月27日火曜日

POPFile v1.0.1

ナイーブ・ベイズ法を利用したメール分類ツール。POP3、SMTP、NNTP の各プロキシと IMAP フィルタ、ウェブインターフェースで構成されている。一旦、設定とトレーニングがきちんとされれば、パソコンのバックグラウンドで動き続け、到着したメールを読み取って、好きなように振り分けてくれる。スパムに悩んでいるアナタ。POPFileがオススメです。

改善点
- IMAP がインストールされていない場合の不具合。
- IMAP モジュールにおいて、意図せずに unclassified バケツに再分類されてしまうバグを修正。
- POPFile UI で非常に長い To、Cc、From ヘッダを持つメッセージが 表示された際にセグメンテーションフォルトが起こるバグを修正。
- コーパスのアップグレード処理中にいくつかの警告が発生するバグを修正。
- メールメッセージに含まれるべきでないヌル文字に対するチェックを追加。
- ログファイルの項目追加や修正。
- メッセージ履歴からのメッセージ削除処理の高速化。
- 新バージョンの SQLite コマンドラインユーティリティ。
- Wiki へのリンクの改善。
- その他

http://getpopfile.org/docs/jp

2008年5月26日月曜日

文鳥・夢十夜

夏目漱石『文鳥・夢十夜』(新潮文庫)を読了。

久しぶりに漱石を読んだ。『文鳥』は私の好きな小品だ。小さなものへの優しい眼差しと、日常の不作為の残酷さ。生の愛おしさとはかなさ。そういった対照が、書斎と縁側の小宇宙の中で見事に描かれていて、読み手の心に浸みてくる。可愛らしい文鳥を愛でる一方で、きままな自己の正当化に終始する「私」。ささやかな物語の始まりと、やりきれない物語の終わり。綿密で繊細な叙景的な筆致が、細やかな情の移ろいまでを映し出していて見事だと思う。本作を志賀直哉の『城の崎にて』と重ねる向きもあるようだが、私には違和感がある。好みの問題と云ってしまえば、それまでだが。

『夢十夜』『永日小品』は同じ路線の作品。世評は高いが、私には受け入れ難い世界があるのも事実。心情的に、私は漱石の夢物語を共有する気にはなれないのだ。一時期、夢分析の観点から、盛んに論じられたことがあったようだが、何らかの研究成果があったものか。私は寡聞にして知らない。『思い出す事など』は、修善寺での大吐血の前後を顧みた作品。ある意味、日記的でもある。読んでいて愉快な作品ではないが、死の淵を覗き込んだ者だけが語り得る何かがあり、読むのを止めようかと思いつつ、結局は読んでしまった。『変な音』も同じ系統の作品。

『手紙』は生前には単行本に収録されなかった作品。だが、なかなかどうして。何とはなしに、どことなくユーモアのある作品。ここでのユーモアは、『猫』や『坊っちゃん』で見られるものではなく、もっと艶っぽい大人のもの。作中の「私」が「風俗」の側ではなく、「世間」の側に立っている構造が面白い。漱石の、この手の短編はもっとあるのだろうか?あるならば、それらも読んでみたいところだ。

2008年5月21日水曜日

ディープグリーン1

佐々木淳子『ディープグリーン 1』(講談社)を読了。

表紙に「ダークグリーン2」という表記があるが、本作は20年以上も前に連載されていた『ダークグリーン』の続編にあたる。もっとも「続編」とはいえ、読者層は変化しているのだろうし、作品の世界観の説明と新キャラの紹介だけで1巻を費やしてしまっている感じである。本格的なストーリー展開は次巻以降に期待ということで。

http://www.sasakijunko.com/

2008年5月17日土曜日

いらつく二人

三谷幸喜&清水ミチコ『いらつく二人』(幻冬舎)を読了。

前作『むかつく二人』に引き続き、つい購入。(2冊目が出ると思っていなかったので不意打ちだった。)ラジオ番組「DoCoMo MAKING SENSE」での二人のやりとりを本にしたもの。1,400円はちとお高いか。まぁ、山形では放送聴けないし(ホントか?)面白いからいいけど。(インターネットラジオ Brandnew-J では聴けるらしい。)「伊東美咲の『危険なアネキ』が……」という掛け合いがあるから、いつのことやらと奥付を見ると、「2005年12月〜2006年5月放送分」と書いてある。2年前かぁ。なんか遙か昔のことのように思える。

私は清水ミチコというタレントが好きだ。これからも好きであり続けるだろう。本書にもあるが、ここ何年か、三谷幸喜の芝居のチケットが取りづらくなった。10年前は、パルコ劇場のキャパなら、土日でもチケット取れたのに。すっかりメジャーになったってことか。私は面倒くさがりなので、これだけメジャーになってしまうと、もう彼の芝居を観に行くこともないのだろうな。

http://www.j-wave.co.jp/original/makingsense/
http://4325.net/
http://www.parco-mitanikoki.com/

2008年5月14日水曜日

Microsoft Office 2008 for Mac Service Pack 1 (12.1.0)

Microsoft Office 2008 for Mac の更新プログラム。Office 2008 の脆弱性および安定性を改善する。これにより、攻撃者が Office 2008 のファイルを使って、利用者のコンピュータのメモリを悪意のあるコードで上書きすることができなくなる。この更新プログラムに関する詳細については、以下のマイクロソフトサポート情報を参照のこと。

http://go.microsoft.com/fwlink/?LinkId=115072
http://support.microsoft.com/kb/952331/ja

http://www.microsoft.com/japan/mac/download/office2008/office08_sp1.mspx
http://www.microsoft.com/japan/mac/default.mspx

2008年5月13日火曜日

リュオン

佐々木淳子『リュオン』(幻冬舎コミックス)を読了。

私の学生時代、『ダークグリーン』というSF漫画が連載されていて、私はその作者の佐々木淳子のファンだった。(というほど熱心でもなかったが。私の学生の頃は、比較的SF漫画の人気が高かった。ゆうきまさみ『機動警察パトレイバー』の連載が始まり、メディアミックスの試みがスタートしたのも、その頃のことだ。)本書『リュオン』には、その『ダークグリーン』の続編・外伝にあたるストーリーが3編収められている。そのうちの2編はそれぞれ、彼女の名作『那由他』『ブレーメン5』を絡めたストーリーとなっており、読んでいてとても懐かしかった。(そういや『ブレーメン5』のイメージアルバム (LP) を持っていたはずだが、どこにいったのやら。)

てっきり私は、佐々木淳子はとっくに筆を折ったものと思っていたのだが、公式サイトを見るに、まだ細々と活動しているらしい。これからも頑張ってほしいものである。

2008年5月12日月曜日

新ロゴ of NTT DoCoMo

なんかパッとしないNTTドコモの新ロゴが発表されて1ヶ月あまり。最近、このロゴを使ったTVCMを見かけるようになった。やはりパッとしないのぉ。そもそもタレントずらずら並べたって、auの仲閒由紀恵1人に負けてしまっている感じがするのは私だけ?肝心の中身がおろそかなまま、いくらイメージ戦略を展開しても無意味でしょう。i-modeの成功体験が忘れられないのだと思うけど、やはりNTTドコモさんには己をもう一度見つめ直してほしいと、ユーザの私は思ったりする。私がNTTドコモの携帯を使い続けているのは、キャリアを変更するのが億劫っていうだけなんだからね。

http://www.nttdocomo.co.jp/

# ビルの上から次から次へと硫化水素入りのビニール袋を投げつけられ逃げまどう夢を見た。いやはや……。

2008年5月10日土曜日

困ります、ファインマンさん

ファインマン『困ります、ファインマンさん』(岩波現代文庫)を読了。

『ご冗談でしょう、ファインマンさん』に続くエッセイ集。もっとも、どの本もファインマンの語り下ろしによるものであり、実際に文章化したのはラルフ・レイトン(『ファインマン物理学』の共著者、ロバート・レイトンの息子)である。三部構成となっているが、それぞれのエピソードに直接的な関連は無い。

単行本の出版時に話題になったのは第三部にある『ファインマン氏、ワシントンに行く』であった。それはスペースシャトル「チャレンジャー号」の爆発事故調査の経緯について語られたものだ。ファインマン本人が事故原因を独自行動で探求していく様子は他書と同じノリであるが、それと並んで興味深いのは、事故の真因を隠蔽しようと最後まで抵抗し続けるNASA当局との闘いが、比較的明瞭に率直に語られていることだ。結局、NASAの調査報告書には『シャトルの信頼性に関する個人的見解』として付録として収録された。本書の英語版には、その全文が掲載されているが、日本語版では一切が省略されている。どういう事情があったのかは、私は知らない。ちなみに、このファインマンの文書はNASAのサイトで公開されている。興味のある人は以下を読んでみてください。

http://history.nasa.gov/rogersrep/v2appf.htm

NASAのような巨大な組織でも、私の職場でも、そしてどんな企業でも、現場の人間が上に報告を上げなくなったら、その先にはアクシデントが待ち受けている。人間、出世を重ね、その権限が大きくなっていくに連れ、その権力行使にばかり関心がいってしまうものだ。だが、ふと立ち止まり「はたしてこれで上手くいっているのだろうか?」と後ろを振り返ってみることが何よりも大切だ。気がついたら、誰も自分についてきていないかもしれない。『裸の王様』はおとぎ話の世界だけでなく、世間のどこにでもある、ありふれた物語なのだ。

私が個人的に感銘を受けたのは第一部にある『ひとがどう思おうと構わない!』だ。早世したファインマンの最初の妻について語られたものだ。彼女はマンハッタン計画の最中に亡くなっており、『ご冗談でしょう、ファインマンさん』では、さらりと述べられていただけだったのだが、本書では、思春期の頃の出会いから早過ぎる別れまでが率直に語られていて感動的だ。

ファインマンは、マンハッタン計画に携わった人に多いという、腎臓組織周辺のガンとの闘いを10年以上続けた末に亡くなった。上記の、チャレンジャー事故調査委員として活躍していた際も、闘病中であったという。死の数日前、周囲の友人達に「そんなに心配するなよ。それよりみんな大いに人生を楽しんでくれよ。」と語ったのが、最後の言葉だったそうだ。最初の妻、アーリーンのエピソードとならんで、なんとも人柄を偲ばせるエピソードである。

Parallels Desktop 3.0 Build 5600

Intelプロセッサを搭載したMacに仮想PC環境を構築して、WindowsなどのOSを動作させるためのソフトウェア Parallels Desktop 3.0 for Mac の最新ビルド。

# ダウンロード時に Registration が必要となったので注意。

http://www.parallels.com/

2008年5月8日木曜日

研究室のBGM 今月の一枚



リヒャルト・シュトラウス
交響詩《英雄の生涯》 Op. 40
交響詩《ドン・ファン》Op. 20
交響詩《ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら》 Op. 28
ロリン・マゼール 指揮
クリーヴランド管弦楽団
(I/1977, V/1979)
(廃盤)

9歳でフィラデルフィア管弦楽団を指揮するなど、少年時代から神童の誉れ高く、30代にしてベルリン・ドイツ・オペラとベルリン放送交響楽団の音楽監督を務め、天才・奇才の名をほしいままにしたロリン・マゼールも今年で78歳となった。私がクラシック音楽を聴き始めた頃は、セル亡き後のクリーヴランド管弦楽団の音楽監督を務めており、ほどなく1982年にはウィーン国立歌劇場の総監督になり、そのキャリアの頂点に上りつめたのだった。その活躍ぶりは、何かと音楽ジャーナリズムを賑わせていたし、その才気闊達な音楽造りには目を見張ったものだった。ストラヴィンスキー《春の祭典》における大胆なテンポ設定とリズム進行には腰を抜かした。オケがウィーン・フィルだったのも私の驚きに輪をかけた。その一方で洗練の極みと云うべき解釈を示したベルリオーズ《幻想交響曲》、スタイリッシュな表現と古典的な解釈が際立ったバルトーク《管弦楽のための協奏曲》などは、いまでも記憶に新しい。ウィーン国立歌劇場の総監督になり、ニューイヤーコンサートでヴァイオリンの弾き振りを披露していた頃などは、まさに「ゆくところ可ならざるは無し」という言葉が相応しかった。当時、小澤征爾が何かのインタビューに答えていて、「マゼールのように上手くなりたい」と言っていたのは印象的だった。

さて、私はそんなマゼールを30年近く聴いてきたのだが、「伝説」と呼べるような演奏や録音があったのかと問われれば、いささか心許ない。なるほど、個々のレコード録音はすこぶる水準が高く、いかにも「玄人好み」だし、その個性的な解釈も魅力的ではあるのだが、フルトヴェングラー、トスカニーニ、ワルター、カラヤンといった人々、最近でのカルロス・クライバーのように、マゼールの演奏や存在そのものが「伝説」や「神話」と化してしまっているかと云えば、やはり否と云うしかない。スポーツの世界において、記録保持者が必ずしも「伝説」や「神話」とならないのと同じように、芸術の世界においても、「伝説」となるには別の要素が必要なのだ。もちろん、音楽を消費する私達の社会が、もはやかつてのような「伝説」や「神話」を必要としなくなっているのも事実だとは思うのだが……。

このCDの演奏も、LPとして登場した当初はとても高く評価され、たしかその年の「レコードアカデミー賞」を受賞したはずだ。後期ロマン派爛熟期の極限まで肥大した、R.シュトラウスの交響詩がこれほど透明に響いたのを、私は他に聴いたことがない。(実演ではステージから溢れんばかりの大編成となる。)すべての音響がコントロールされ、うるさく響くことがまったく無い。《英雄の生涯》は、名演と云われているカラヤン/ベルリン・フィルの演奏の対角線上に位置するような演奏だ。冒頭の筋肉質に引き締まったハーモニー、6小節目のファゴットをはじめとする管楽器の見事なアクセント、ポルタメントをかけてもけっして下品にならないヴァイオリン群、「英雄の闘い」における対位法的な処理の見事さと絶妙なリズムコントロール……はたして今後このような演奏に再び巡り会えることはあるだろうか。《ドン・ファン》の出だしは、他のどの演奏よりも格好良い。学生時代、東大オケで演奏していた私の友人が、この演奏を聴いて「こんな快速テンポでこんな水準のアンサンブルで演奏するなんて不可能だよ」と舌を巻いていたのを、私はいまでも憶えている。

ただ、この演奏、どうやら不人気らしい。現在残念なことに、カタログにもなければ、Amazon や HMV でも入手できない。聴き手がR.シュトラウスに何を求めているのかということを考えさせられることではある。

2008年5月5日月曜日

こどもの日

こどもの日だからというわけではないが、今日は娘と都内の公園に出かけて遊んだ。あいにく東京は冴えない天気だったが、うちの娘はエンジン全開で、全身を使って遊びまくっていた。いくつか擦り傷はこさえたものの、やはり子供はこうでなくてはいけない。

2008年5月4日日曜日

横尾忠則@世田谷美術館

今日は久しぶりに世田谷美術館を訪れた。何年ぶりだろう?今回の企画展『冒険王・横尾忠則』にさほど興味があったわけではないのだが、私は学生時代から世田谷美術館の小振りで独特の佇まいが好きで、久しぶりに散歩がてら足を延ばしてみる気になったのだ。



GWだから砧公園内はいつもの週末より少し混んではいたものの、美術館への人出は、通常の日曜日のそれと大差ないようだった。今日は14:00から横尾忠則と荒俣宏の対談講演が予定されており、これには興味を惹かれたものの、久々の訪問なのだからと作品を見ることに集中することにした。アンリ・ルソーへのオマージュとなる近年の連作の展示から始まって、デザイナーとしてのデビュー時代(1960年代)の作品に遡り、それ以降、部屋毎に適切にテーマ設定がされた展示はなかなかに秀逸だった。作品を見るこちらの集中力を切らさない配慮が十分にされていたように思う。たっぶり2時間、それなりに疲労はしたものの、とても濃い時間を過ごすことができた。

2008年5月3日土曜日

TOMICA

わが家の新車、日産エクストレイルのミニカー(TOMICA No.75)を友人からもらったので、さっそく撮ってみた。見よ、この勇姿。



トミカ http://www.takaratomy.co.jp/products/tomica/
タカラトミー http://www.takaratomy.co.jp/
日産自動車 http://www.nissan.co.jp/

2008年5月1日木曜日

ルネサンスとは何であったのか

塩野七生『ルネサンスとは何であったのか』(新潮文庫)を読了。

今後、塩野七生のルネサンス著作集が文庫化されて発売されていくとのこと。本書はその第一弾。もともとは平成13年に書き下ろされたもので、ちょうど『ローマ人の物語』のシリーズが折り返し点に差しかかろうかという時期にあたる。なぜ塩野七生がローマ史とルネサンスを生涯のテーマとして選択したのか、詳しくは各著作を読んでもらうしかないが、誤解を恐れず一言で語ってしまえば、(宗教とは独立に)人間そのものの精神史の源流に想いを馳せた結果なのではないかと思う。ヨーロッパ文明の歴史の姿を、キリスト教の向こう岸から描く試みとでも云おうか。彼女はキリスト教徒ではないが、そのことにかなり自覚的・意識的に著作に取り組んでおり、欧米人の諸著作とは一線を画するものになっている点がユニークだ。

本書でまず面白いのは、冒頭に、ルネサンスの源流として、聖フランチェスコとフリードリッヒ二世の2名を挙げていることである。本書の価値は、これだけで勝負あったという感じがする。何故、ダンテやジョットーではなく、それより100年近く前のこの2人なのか。それは、この2人が後世のルネサンスの精神の最も良い部分を最初から体現しているところにある。その後の本書の構成は、フィレンツェ→ローマ→ヴェネツィアの順を追うようになっているのだが、それは、単に歴史的な時系列に従ったということではなく、人間の精神史の、ある意味必然であったということが解るようになっている。

読んでいてとても楽しかった。